仏教ゲームがあらわれた!レベル8|ゲームと仏教の共通点とは

01コラム

仏教ゲームがあらわれた!レベル8|ゲームと仏教の共通点とは

仏教ゲームがあらわれた!レベル8|ゲームと仏教の共通点とは

イノベーションとは、かけ算である。
なんでもない、普通のことをかけ算すると、新しいアイデアが生まれるといいます。
かけ算とは違う視点ですが、共通点を探ることも新しいアイデアが生まれるヒントといえそうです。

ゲームと仏教の共通点は、なんでしょうか。

ひとつには、遊びだと思います。
ゲームは遊び、そのまんまじゃないか!とおっしゃるかもしれません。ただ私が言いたいのは、プレイして楽しい“遊びで”はなく、「すき間」という意味での遊びです。

ゲームも、仏教も、生産的なものではありません。
食べものを生み出すわけではありませんし、お子さんをお持ちの親御さんは時間を浪費するだけのムダなものという意識があるでしょう。ムダなものは排除しよう、遊びなんて必要無い、仕事と同列の地位を与えるとんでもない!
・・・こう考えてみてください。ゲームも、仏教も、日常の「すき間」に入り込んでいる、仕事と仕事のあいだにあるクッションではないかと。

仕事ばかりでギッチギチでは、人は動くことができません。
なにが必要か?すき間です。動くことのできる自由さです。
現状を疑うことのできる自由さ。

仏教では、「いかだのたとえ」として、執着しない自由さを大切だと訴えています。
あるところに旅する若者がいました。彼は大きな川を渡れないために立ち往生していました。
そこで彼は自由な発想でひらめきます。いかだを作って、向こう岸に渡ろう!と。
無事、いかだを作り、向こう岸へ渡ったところで思いました。
ooO(このいかだは使えるぞ。かついで持っていこう)
しかし、いかだは重く、旅の邪魔にしかならないのでした。
川を渡った自分にとって、いかだはもう必要ないのだと、彼は悟ります。自由な発想でいかだを捨てた彼は旅を続けることができたと言います。

このお話しのいかだとは、情熱・欲求・興味のことです。
無気力無関心では、人は生きていくことができません。
しかし、同じ情熱・欲求・興味だけでは長続きしません。
たしかに情熱・欲求・興味は大事です。
ここで大切なのは、情熱・欲求・興味を取り扱う意思。執着しないという自由さです。
道具として使い回そうにも、使いどころがあります。川を渡るのに使ったいかだは、もう必要無いのです。その場の情熱・欲求・興味は、その場だけのもの。
執着のこころではなく、柔軟で自由なこころを持つことです。

すき間がなければ、そんな暇もないでしょう。情熱・欲求・興味を持つこともできないでしょう。

仏教とゲーム、どんな化学反応が見られるか。とても楽しみです。

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※ごほうび坐禅会※
1/14(水)19:30~21:30
http://www.facebook.com/events/1546727518901019/

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1/30(金)19:30~20:30
http://www.facebook.com/events/379523242207865/
2/13・27(金)19:30~20:30

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2/10(火)19:30~21:30
http://www.facebook.com/events/552651801531471/

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予定)2/4(水)19:30~21:30

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